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・面積 181,035Ku ・首都 プノンペン ・人口約1470万人 |
2018年の支援 |
2018年3月現在、カンボジアではJPR理事長である正井氏が、約10年間実施してきた長期滞在型支援が終了を迎えようとしています。 カンボジア初の「災害派遣対応ユニット」であるRRC711部隊(救急救助・消防防災のプロ集団)は完成され、プノンペン市民にとっても有名な存在で、火災の消火活動や救助活動、救急搬送において、全てが無償の奉仕で活躍する姿が、連日のようにテレビ局のニュース番組やインターネットなどで報道されています。 また、シアヌークビルに開校された「カンボジア・日本友好防災学校」では、将来の消防士たちが育成される環境が整いました。 RRC711消防部隊では、日本や近隣諸国で高度な研修を受けた上級指導者達が、隊員達に研修や訓練を行なうとともに、RRC711に憧れ、入隊してきた新人隊員達に対する教育や育成も順調に進んでいます。 しかし、途上国ゆえの様々な問題や国民性、ユッタリとした時の流れから、まだまだ全てが万全とまでは行きません。 引き続き、年間数回に渡り「短期支援」としてJPR会員達が、約一週間程度の予定でカンボジアを訪れ支援を継続します。 ![]() ![]() カンボジアを支援することになった経緯は下記に記載しています。 |
カンボジア救急救助技術支援の経緯 |
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2008年、カンボジアを支援する他のNPO団体から、JPRに対し救急救助について調査の依頼がありました。 JPR理事長の正井潔氏が、6月と12月の2度に渡る調査を行い、現在カンボジアが救急の現状において抱えている深刻な現状や様々な問題点などが解りました。
12月の先行調査で、NPO団体の救急車や民間救急の調査をしている際、突然プノンペン市内に駐屯するBrigade70師団長のカンボジア軍中将から会談の要請があり、訪問することとなったのです。 会談の中で中将は「今のカンボジアで救急システムの構築は急務であり、今すぐ市民、国民の生命を救うために行動できるのは、軍隊の衛生兵であり、救急隊の育成は急を要する。一人でも多くの市民、国民の命を救うためにご協力願いた」と技術支援を要請されたのでした。 正井氏は「私はJPRの代表として、JPRの基本理念は、一人でも多くの命を救うことであり、その理念が中将のお考えと合致していれば、出来るだけのご協力はさせて頂きます」と回答し帰国したのですが、やはり軍隊ということで熟考に熟考を重ね、悩んだ末に「支援する」という結論を出したのでした。
当時のカンボジアでは、交通事故などで民間の救急隊に搬送された場合、高額な搬送費用や賄賂、病院代などを請求されていました。 また、火災でも警察消防などが、水代と称した賄賂や高額な消火費用を請求していたそうです。 残念ながら、これは現在のカンボジアでも継続されているようです。 先進国のように「無償の奉仕」で活動する団体。 日本のような消防組織の無いカンボジアでは、給料のみで活動する団体は警察や軍隊となりますが、警察消防は賄賂が横行しているため、「市民、国民の生命・身体・財産を守る組織」を結成する必要がありました。 それが、Brigade70 Rapid Rescue Company: RRC711部隊(災害派遣ユニット)なのです。 賄賂や費用を求めない、真のプロ集団の結成。命の貴さを知り、使命感とプロ意識を持った消防のプロ組織を立ち上げることでした。JPRでは、先の技術支援(ザンビアやインドネシアなど)と同じように、消防車や消防資器材なども同時に寄贈していましたが、それを有効に使用できる技術と知識、そして安全に使用出来、使いこなせるということも非常に重要なこと。 物だけでは無い「人的支援」が最も重要と考えていました。
この時期は、インドネシアへの技術支援と同時進行でしたが、カンボジアへも2009年、2010年と約一週間程度の短期的な技術支援を続けていましたが、2011年正井氏が神戸市消防局を退職すると同時に「カンボジア長期滞在」を決意し、Brigade70 RRC711部隊をカンボジア初の救急救助、消防防災のプロ集団にしようと決心したのでした。 正井氏は、常々「お金では買えないものがある」「自分の知識や技術を売り物にしたくない」という事で、すべて自己負担でカンボジア長期支援に望みました。 そして、銃を筒先(消防の水が出てくる部分)に持ち替え、人々の生命と身体、財産を守るプロ集団を育成しようと、日々努力したのです。 当初結成された隊員たちは、あまりの厳しさに殆ど残っていないそうです。 文化や考え方の違い、様々な団体からの干渉や妨害といった困難から、非常に苦労が多く、何度も「辞めて帰ろうか・・・」と思ったそうです。 しかし、1年・2年と経過し、正井氏の指導や考え方に同調した隊員が定着するようになり、現在のRRC711部隊が完成したのです。
次のステップは、この隊員たちが指導者となり、新たな隊員が増えて、いずれカンボジア全土に、賄賂や費用を請求しない本当のプロ、消防のプロが増えていくことなのです。 「軍隊に指導している」ということで、多少アレルギーをお持ちの方や疑問を持たれると思いますが、現在のカンボジアで無償の奉仕で救急救助・消防防災を担っているのはRRC711部隊のみなのです。 先進国で言う「消防組織」が「Brigade70 RRC711」なのです。 今では活躍する姿が、TVやインターネット・新聞など多く掲載され、プノンペン市民にも知れ渡っています。 そして、なにより尊敬されているのです。
JPRが基本理念として掲げる「ひとりでも多くの命を救う」という言葉。 Brigade70 RRC711部隊に、確実に受け継がれています。 |
カンボジア支援 アーカイブ |
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カンボジア支援の軌跡 ※年度の下に、主な掲載内容を記載しています |
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2017年 Brigade70 RRC711消防部隊の完成。 カンボジア初の「災害派遣ユニット」で、Brigade70に所属する消防専門部隊の完成です。 今後の指導者は、JPRが育成したカンボジア人達で、「自国民が自国民を指導する」と言うJPRの基本理念に叶う形となり ました。 長期支援は終了しますが、今後も短期支援で訪れ、知識や技術の向上に寄与して行きます。 2016年 カンボジアのシアヌークビルに、様々な困難を乗り越え完成された「カンボジア・日本友好防災学校」。 指導者の育成や、日々のRRC711部隊の活躍を掲載しています。 2015年 カンボジア支援紀から、長い時間と様々な困難を乗り越えて、やっと完成された災害派遣ユニットRRC711。 プノンペン市で、日々活躍する姿を掲載しています。 2014年 B70の20周年記念で実施された総合訓練や、カンボジアのイオンなどで実施された訓練などを掲載しています。 2013年 長期支援の正井氏と、短期支援で訪れたJPR会員達の指導や支援状況を掲載しています。 2012年 カンボジア初の航空救助訓練や、B70内の学校設立、神戸市議会議員の訪問の様子などを掲載しています。 2011年 カンボジア初の50m級はしご車や隊員が固定しない中で、苦悩と苦労の連続で支援する状況、そしてなぜ軍隊なのか?を 掲載しています。 2010年 支援初期、正井氏と西山氏の支援状況を掲載しています。 5月 JPR正井氏・西山氏カンボジア長期派遣開始 7月 第五回カンボジア短期支援 8月 第六回カンボジア短期支援 11月 第七回カンボジア短期支援 2008年・2009年 カンボジア先行調査 ※ここからカンボジア支援が始まりました。 カンボジアのインフラや環境、宗教や考え方、そして指導方法などを調査しながら短期的に支援しています。 第一回カンボジア短期支援(調査支援) 第二回カンボジア短期支援 第三回カンボジア短期支援 第四回カンボジア短期支援 |
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