2009・ 4/19〜 4/24 |
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![]() 気温38℃のスラバヤ市からチョット肌寒い神戸に24日の朝、全員無事帰国いたしました。 スラバヤ市は、市長の方針で街路樹を多用した緑の多い街並みのインドネシア第二の都市です。 スラバヤ市のスラはサメ、バヤはワニという意味でサメとワニが仲良くなってその名が付いた由来があるそうです。 |
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インドネシア第二の都市だけあり、防災関係機関はそれぞれ単一機関としては、一応充実しております。 しかし、例えば交通事故でケガ人が発生しても市民は110番の警察に通報、警察官が現場到着し118番の病院救急隊に出動要請します。 そのため救急隊の現場到着が20分以上要することは当たり前だそうです。 さらに、事故車内にケガ人が閉じ込まれていても救出できる機関は無く、日本の消防署のように救助隊が存在しないため救助活動も行われません。 また、消防署にも出動要請がかかることもありません。 このように各機関が連携できてないことは、市幹部も認識しているものの法体系が整ってないため、なかなか改善が出来ないそうです。
前置きが随分と長くなりましたが、JPRが要望した研修生は病院救急隊、消防、警察から選出を依頼していたところ3機関から30名の研修生が選ばれてきました。 第1回目の今回は、各機関の業務内容を理解することを目的に各機関の視察研修から実施したところ、ほぼ大成功。
今年4回の支援を予定していますが、最終回の4回目は各機関の連携を強固にするため大規模災害の訓練を市幹部に提案してきました。 もちろん、回答はまだ頂いておりませんが、研修生はもちろんのこと州立病院の元副院長もその必要性を訴えており、実現できることが望まれます。 スラバヤ市からの返事があれば、その結果をお知らせします。 JPR:日本国際救急救助技術支援会 会長: 正 井 潔 |
2009 ・ 7/19〜 7/24 |
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![]() 第1回目支援に続き、ロジスティックとして参加させていただき ました。 19日に日本を出発し、乗り継ぎのバリでは夏休みの始まりにぶ つかり、旅行客で大混雑。 また、いつもは表に出ていないであろう空港スタッフのいい加減 な案内の為、JPRメンバーを含め多くの人が右往左往させられまし た。 |
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入国審査に一時間以上かかり、急いでスラバヤ行きの飛行機に飛び乗りました。 乗ると同時に飛行機は離陸、日本では乗客が居ないと待ってくれる、もしくは探してくれるかもしれませんが、外国はどうでしょう。 もう少し、手続きが遅ければもしかしたら乗れていなかったのでは・・・・と、ゾッとしました。 諌山さんから「こんな時は、メンバーは一ヶ所で待機し、ロジが確認すれば皆で右往左往する事は無いよね」と助言いただきました。 ロジスティックとしての、役割であると反省。 今回の支援は、20日がイスラム教の祭日で研修生が集まれない為、スラバヤの各施設を視察。 研修会としては、21日・22日・23日の午前中迄と前回より1日短い研修となりました。 20日は、LINMASという市民の為に活動する部隊(交通量の多い道路を渡る助けなど)の本部を訪問。 この様な組織が日本にもあれば、一人住まいのお年寄り等、助けが必要な人達が過ごしやすくなると感じました。
スマトラ沖災害発生時にも現地に向かい救急の活動をされた事を聞きました。
献血台は13台あり、市民がぞくぞくと献血に訪れていました。 日本のように、飲み物や粗品などはないそうですが、50回以上献血をすれば、もしもの時に無料で輸血が受けられる等細かい決まりが設定されているそうです。 血は血で戻ってくるシステムになっているそうです。良いシステムだと思いました。
昼食後、スラバヤ市とマドゥラ島を結ぶ大きな橋を見せていただきました。 橋の途中で、私と横尾さんの乗った車に異変が!一緒に乗っていた消防の人が窓を開け、しきりにタイヤを確認していました。 マラドゥ島に着くや否や、車を止めて隊員さん達が車の下を覗き込み・・・・・ズルリ・・・・ベルトが切れておりました。 ハプニングは、つきものですね。
前回は、各所属のユニフォーム等を着ていましたが、今回は全員オレンジのおそろいのユニフォームを着用していました。 一つのチームとして、立派な一つのチームに見えました。ただ、指導の上で誰がどの機関の人なのかが判別しにくいのではないかな・・・とも感じました。
前回初日に感じた雰囲気を、今回も感じる事になりました。 講義が進むにつれ、今回、初参加の研修生から色々と疑問やこの研修の結果等を問われました。 正井会長や播磨さん、諌山さんは想定内だったと思います。 ただ、前回から参加している研修生の方々は、同じ説明を聞くことになる為、時間がもったいないと感じました。 当初より、正井会長が「4回とも同一の研修生で!」と言われておりましたが、限られた時間の伝えるには、とても重要なことと理解できました。 トリアージタグについて説明をした際、赤十字の方は、独自のトリアージタグを使っているのでご存知でしたが、その他の研修生に確認したところ、それを知っていたのは3人だけと、かなり少ないものでした。 時間の経過と共に、熱心な研修生とそうでない研修生が明確に分かれていく様に感じました。 二日目、三日目とあるので、前回と同様に気持ちに少しでも変化が現れてくれると、私は考えていました。
2日目の研修開始。 前日の説明を元に、実践へ。 しかしながら、正井会長は一次トリアージが不完全であると判断され、もう一度、一次トリアージの説明をされました。
正井会長は研修生に、「皆さんには、スラバヤの市民の命を救うリーダーになってほしい。」と再度、伝られました。 その言葉を受けて「初めてJPRの研修に参加し人は、理解に時間はかかると思うが、とても意義があるものだと感じているので、続けて欲しい」と、前回から参加されていたウィダグド氏(消防)が、発言してくれました。 こうして、2日目の研修会は終わることとなりました。 3日目の研修は、8月の訓練までに各機関から危機管理をする人を選出する事を決める事とし、最後の質問の時間へと突入しました。
アメリアさんとアメリアさんの後輩のイラさんも、通訳としてJPRと研修生の間で大変だったと思います。 特に、アメリアさんはJPRや支援内容について理解してくださっており、安心して通訳を任せることが出来る・信頼できるとはこういうことなのだと感じました。 しかし、アメリアさんは8月より日本での仕事が決定している為、次回以降の参加が難しい事が残念でなりません。 〜その他の体験〜
こんなに近寄っても動かない!!
日本に到着し難波から地下鉄に乗り込む際、スーツケースを持った私が階段を降りていると、周りの方から「大丈夫?」「手伝ってあげる」と声をかけていただきました。 階段を降りきった時、気が抜け、荷物と共にびっくりするぐらいゆっくり「ぽてっ」とこけてしまいました。 そこで、しりもちをついた私と手伝って下さった周りの人と大笑い。 「ほんま、自分、大丈夫かいな(笑)」と。なんだか、とっても温かい気持ちになり、と同時に感謝の気持ちでいっぱいになりました。 ここでは、書ききれない事がまだまだあります。 是非、海外支援に参加して色々な事を体感してみてください。 感動・気づきが、いっぱいありますよ! 最後に、今回も支援に伴いご尽力くださった皆様に感謝し、次回のインドネシアの支援で、少しずつでも良い変化があることを願っています。 日本国際救急救助技術支援会 Japan Paramedical Rescue :JPR 野 村 和 永 |
2009・ 8/30〜 9/4 |
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![]() 8月30日より第3回インドネシア・スラバヤ市に技 術支援に行ってきました。 今回のメンバーは、正井会長、荒木さん、野村さん、 そして私の4名でした。 |
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会長を筆頭に、海外支援経験メンバーであったため、関空で集まってからも、段取りに戸惑うことなく荷物を預け、いつも恒例の集合写真もスムーズに撮れました。
明日からの研修に備えて、すこしの団欒も出来ました。 会長自ら、支援メンバーへのマッサージもあり、明日からの技術支援に備えました。
午前中に一次トリアージの復習を行い、休憩をはさんで二次トリアージの練習です。
しかし、その大変な状況にも負けないぐらいの熱意で、訓練を次々こなしていきました。
その協力なくしては、海外への技術支援の成功はありません。 次回の第4回スラバヤ市技術支援に向けて、JPRメンバー一同が協力していきたいと思います。 日本国際救急救助技術支援会 Japan Paramedical Rescue :JPR 関 祐 介 (看護師) |
2009・ 11/15〜11/19 |
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支援報告は、ありませんがYouTubeの動画で 支援の様子を紹介しています。 |
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