第2回ザンビア支援の報告と感想



技術支援〜救急班
 第2回ザンビア支援ツアーを終えて
 JPR 看護師 松田じゅん
 11月19日から11月27日にかけて、総勢16名でたくさんの資器材を抱え、ザンビア支援に行ってきました。 
 真新しいユニフォームを着て関西空港で記念撮影をし、24時間以上の空
の旅を満喫しながら(?)期待と不安を胸に、ザンビア国ルサカ空港に降り
立ちました。

 南アフリカヨハネスブルグでの乗り継ぎ待ち時間には、フカフカソファ
のあるサロンでティータイムを持ちつつ、到着時のための“右へならえ・
敬礼”の練習をしました。

 
   
 消防のメンバーだけでのデモストを見るととてもかっこ良かったのですが、私たちが入ると横をチラチラ見ながらあたふた〜という感じでやや不ぞろいなところがなんとも新鮮でした。
 お店の人が何か見世物が始まるものだとなんだか勘違いし、拍手しながら観客になっていました。
 ルサカ空港では、制服を着た各機関の人たちがザンビア国旗と日の丸をなびかせ私たちの到着を迎えてくれました。
 一人一人と握手をしながらあいさつし終えると、お部屋に移り、TVカメラの前で会長がインタビューを受けていました。
 ホテルへの移動は、会長がレスキューコマンドに、私たちは通称雑魚キャラバスというザンビア滞在中ずっとお世話になった愛車に乗り、緊急車両扱いで渋滞する車の横をスルッとすり抜け、申し訳ないながらも気持ちよくフェアビューホテルに向かいました。
 訓練中ずっと滞在するこのホテルは、トイレのドアは壊れ、他のメンバーの部屋も便座が無かったりお湯が出なかったりと、なんで直さないのかな〜と日本では考えられない状況だったのですが、思っていた以上にずっとキレイで、落ち着けるいいお部屋でした。
 長旅の疲れを感じる暇も無いほどスケジュールはどんどん進行していき、この日はチャイナマ署に向かいERTのメンバーへの挨拶と翌日から始まる訓練のための準備をしました。
 HPでずっと見ていたあの救急車たちがチャイナマ署にズラっと並んでいるのを見たときには「よう来たなぁ…」ととても感動してしまいました。
 セレモニーの後、ERTメンバーの「救助車のライトはどうしたら点灯出来るのか」とのリクエストで、稲垣・木下の救助チームが救助車を手早く操作し点灯すると、大拍手が沸き起こりました。
 その日はJPRザンビアチーム初めての一緒の夕食でした。
 TICOの事務所で久美子さんやTICOスタッフの手作り料理を頂きました。
 初MOSI(ザンビアのビール)で乾杯し本場タイ人スタッフお手製のトムヤムクンで明日からの訓練に備え、結束を固める前夜祭となりました。
 日本から木下米・稲垣米・西馬米を持って行ったのですが、この日は木下米がお目見えしました。
 日本の米ってやっぱりおいしいなあと改めて日本人に生まれた幸せを実感しました。
 11月21日訓練初日。ZASTIという航空学校にてAチーム医師・準医師、BチームERT・POLICE等、CチームRESCUEに分かれ訓練が始まりました。
 青い空に白い雲、たくさんの木々の緑に囲まれとても爽やかなお天気で気持ち
良く臨めました。

 小学校の教室のようなお部屋に机と椅子が並べられて約20名の受講生が揃いま
した。

 早く名前を覚えられるようにとガムテープに英語とカタカナで名札を作り、胸
にぺたっと貼られている姿はなんだか可愛く微笑ましいものでした。

 Bチームの目標は“トリアージが出来ること”でした。
 まず、班長の谷本さんが“トリアージとは”を講義しました。
 受講生みんな真剣な目で聞いており、ノートにはびっしりとメモをとっていました。
 受講生の意気込みが伝わり、私たちもしっかりしないとと気合が入りました。
 鋭い質問も飛び交い、また受講生同士教え合ったりと期待たっぷりのBチームでした。
 講義後早速5人くらいのグループに分かれて実践練習に入りました。
 通訳が谷口さん1人だったのでたどたどしい英語でなんとか頑張るしかなかったのですが、みんな理解してくれようととても優しくあたたかな雰囲気で時が過ぎました。
 休み時間にはみんなが集まって来てくれ、「こんにちはお兄さんは日本語で何て言うの?」「お水ちょうだいは日本語でどうやって言うの?」「えっとぉ…まずはぁってどういう意味?」など日本語教室が続きました。
 おかげで翌日からの挨拶は日本語となりました。
 訓練中の昼食は、ザンビアの主食シマ(白いとうもろこし“メイズ”をおもち状になるまでこねたもの)にお肉やお魚のおかずを食堂で食べました。
 シマは味が無いのですが、塩やおかずのソースをかけるととてもおいしくいただけました。
 ザンビア人は手でこねながら食べていましたが、私はフォークで食べました。
 訓練後、大使館訪問をし、チャイナマ署に戻っての夕食はBBQパーティーでした。
 ERTのメンバーの他、今回滞在中ツアコンでとてもお世話になった青年海外協力隊のおかぴーこと岡田さんが友人を連れてきてくれました。
 外で大勢の仲間で食べるBBQは、特に骨付きチキンが最高においしくおなかが破裂しそうなくらい食べてしまいました。
 この日も木下米がチャーハンで登場し大人気となりました。
 この日はERTに出動がかかったらJPRメンバーも同行するため待機していました。
 片付け中出動がかかり、救助チームと救命士が出動準備にかかりました。
 日本から持って行ったゴーグルやガウンを装備し、メンバーの顔は一転して真剣な姿でとてもかっこ良く見えました。
 
 ところがすぐに搬送済みの連絡が入り準備のみに終わりました。
 23時を過ぎるとルサカ市内は銃を持った強盗が頻発するらしく、ホテルへの帰り道は救急車と救助車に乗り込みとても緊張した雰囲気の中夜道を急ぎました。
 途中信号で停車した時少年がポケットに手を突っ込みながら近づいて来た時は「ああもうだめだ〜」と覚悟を決めたのですが、ただのストリートチルドレンでした。
 無事ホテルに辿り着いた時はホッと力が抜けました。
 外国の怖さを実感した夜でした。
 11月22日訓練2日目。前日の復習後、トリアージタッグの使い方を練習しました。
 受講生に傷病者役をしてもらい実際布担架で搬送したり、習った方法でトリアージしたりととてもわきあいあいと訓練は進みました。
 自分たちが指導したことを受講生たちが実践してくれているのを見ていると何だかとても嬉しくて感動しました。
 訓練後、JICA訪問をし、夕食はマンダヒルという大きなショッピングセンター内にあるアラビアンナイトというお店でアンドレアさん、ゾンベさん、マーティンさんを迎えての公式お食事会でした。
 女子隊員はこの日のために荷物に詰め込んでいた浴衣を着ての参加でした。
 ザンビアに浴衣はかなり目立ってしまい、注目の的でとても恥ずかしかったのですが作戦は大成功で日本文化をザンビアに披露できました。
 11月23日訓練3日目。翌日に本番を控え、この日は青空教室で搬送から応急処
置までの流れを練習しました。

 教室を飛び出しての外での訓練はとても気持ちよくいつもに増して楽しい雰囲
気で進みました。

 応急処置はこの日が始めてだったのですが、ERTのメンバーがとても器用に
三角巾を扱っているのを見ると、第1回支援メンバーの指導が活かされているのが
実感され、私たちの指導がこれから活かされるのかなぁととてもわくわくしまし
た。

 訓練を終え、明日の総合訓練の打ち合わせをしようとしていたそのとき、出動がかかりました。
 周囲の雰囲気は一気に緊張し、救助チームと救命士数名が出動しました。
 残った私たちは心配しながらも明日の打ち合わせをしていたのですが、途中何度も追加召集がかかり、受講生はどんどん現場に向かって行きました。
 しばらくすると、現場から引き揚げてきたJPRチームが無事訓練場所に戻ってきました。
 その表情はイキイキし、少しうらやましかったです。
 11月24日総合訓練当日。ついに本番の日となりました。
 SOSチルドレンズヴィレッジという孤児院前の大広場に各車両や訓練生が続々集まってきました。
 本番開始ギリギリまでかかり、準備と車両配備などのデモンストレーションが行われました。
 みんなの真剣な表情がとても素敵で身が引き締まりました。
 するとバスに乗り込んだ傷病者役の人たちがにぎやかに到着しました。
 彼らには赤ゾーン・黄ゾーン・緑ゾーンの各カテゴリー内容を説明し、歩ける歩けない・与えられた症状に従い演技して欲しい旨を伝えたあと、症状カードをひとりひとり貼っていきました。
    午後2時ついに本番開始となりました。
 総合訓練の概要は、50人乗りのバス2台が正面衝突し、間に乗用車1台が巻き込まれ炎上。
 約50人が緑タッグ・約30人が黄タッグ・約20人が赤タッグと設定。
 歩行可能者を誘導した後、救助車による救助作業そして残りの歩行不能者の救出・トリアージ・応急処置・病院搬送という流れでした。
 
 乗用車に火がつくと緊張感は更に高まりバスに乗り込んだ負傷者役の演技も白熱しだしました。
 みんなで協力して緑の負傷者を誘導した後救助作業が始まりました。
 救助チームが炎天下の中脱水になりながら毎日の訓練で指導し、それがこの日かたちになって、救助車を確実に操作し乗用車内から要救助者が救助されました。
 ライトの点灯の仕方を教えてくれと言っていたあの頃が嘘のようにてきぱきと救助車を扱っている姿を見ていると涙が出そうなくらい感動しました。
 救助作業が終わると、ここからがたいへんな50人以上の歩行不能者の搬出作業が始まりました。
 傷病者役の演技が更にエキサイトしており、車内は大パニックになっていたのですが、訓練生たちは淡々と搬出作業を進め、一次トリアージ・二次トリアージ・応急処置・病院搬送…と目の回るような作業を着実に行っていました。
 この日まで3日間たどたどしい英語(にもなっていませんでしたが…)で指導したことが形になった姿を目の当たりにするともう嬉しくて嬉しくて涙を止められませんでした。
 周りのJPRメンバーを見渡してみてもやっぱりみんな目がウルウルしていました。
 少し予定外だったのが、負傷者役の演技が白熱しすぎて重傷者がどんどん増えてしまい、これまた予定外に黒タッグが何人も出てしまっていました。
 これにはJPRメンバーも苦笑いするしかありませんでした。
 この日で訓練全行程は終了し、受講生とのお別れの日が来てしまいました。
 4日間という短い関わりだったのにお別れがすごく名残惜しくいつまでもその場を離れられませんでした。
 翌日からはご褒美の観光2DAYSとなりました。
 場所をリビングストーンに移し、メンバーは一気に真剣な顔から開放感たっぷりの顔になりました。
 リビングストーンでは、今回のメインイベントだった110メートルバンジージャンプを楽しみました。
 高さを見た瞬間少し怯みましたが、飛んでみるとふわっと気持ちよく飛んだ全員のテンションがしばらく上がりっぱなしでした。
 残念ながら乾季で滝の水量が少なく景色と迫力は100%とはいきませんでしたが、念願の世界三大瀑布ヴィクトリアフォールを満喫しました。
 夕食はリビングストーンツアーに同行してくれたアンドレアさん・マーティンさん・ゾンベさんと共に楽しみました。
 マーティンさんのはからいでゲームをし、日本のラジオ体操や君が代斉唱などで盛り上がりました。
 総合訓練修了式で聞いたザンビア国家にも心を打たれましたが、ザンビアで歌う君が代はこんなにすばらしい歌だったのか…と驚きを感じました。
 ザンビア滞在最終日となった11月26日は早起きしてのサファリツアーでした。
 ツアーバスがなかなか来ないという若干のトラブルはあったものの、最終日をザンビアの野生動物に癒され大満喫しました。
 救助の拓ちゃんが動物博士でガイドとしても力を発揮してくれました。
 これにてザンビア全行程が終了してしまいました。
 帰りのジンバブエ空港に向かう雑魚キャラバスの中では、なぜか槙原敬之の歌が流れていたのですが、そのときの気持ちにとてもマッチし、ジ〜ンとしながらザンビアにお別れを告げました。
 ジンバブエ空港に着いてからも、見送りに来てくれたアンドレアさん・マーティンさん・ゾンベさん・バンダさん・おかぴーとの別れが名残惜しくいつまでも手を振り続けました。
 今年の4月にJPRに入会し、こんなに早く支援ツアーに参加出来るなんて夢にも思わなかったのですが、今回参加して本当に本当に良かったです。
 毎日5時6時の早起きで、分刻みのびっしりスケジュールでザンビアを堪能する暇もなかったのですが、たくさんの出会いがあり、いっぱい感動でき、総合訓練も成功し、強行スケジュールの疲れなんて全く感じないほどの経験ができました。
 ザンビアの人々とだけでなく、JPRメンバーとの結束も固めることが出来ました。
 滞在中24時間ずっと一緒だったので昔からの仲間のようにいろいろ相談し、嬉しいこと楽しいこと不安なことを共有しました。
 ザンビアでは救急救助システム確立に向けてどんどん動いていっているという連絡を受け、是非これからも関わっていけたらなっと思っています。
 そしてまた、ザンビアにチームみんなで次の支援内容を引っさげて訪れたいと思います。      JPR 松田じゅん


技術支援〜救助班
 第2回ザンビア支援ツアーを終えて
 JPR 消防職員  木下 拓也

救助チーム概要 
 救助チーム(Cチーム)は稲垣・五十嵐久美子さん、そして僕の3名が担当し、受講生が16名と人数が多く、資器材も限られた数の中での指導となりました。
 今回の支援活動では、救助工作車の取り扱いを中心に、4日間という期間で油圧救助資器材などの指導にあたりました。
 それでは救助チームの活動概要と、ザンビア支援の感想をお伝えします。
 松田さんが支援の流れを説明してくれましたので、ある程度救助に的を絞って報告します。
 ザンビアに向けて気合十分っ!!僕は集合時間の1時間前に空港に到着し、これは空港1番乗りだろうと思っていまし
た。

 しかしさすがJPR、すでにワッフルを抱えた関さんが余裕の笑顔でスタンバイしていました。
 見送りに着てくださった方々に手を振りつつ、期待半分、不安半分で24時間越えのフライト。
 重量オーバー気味の資器材と供にザンビアまで飛び立ちました。
 やっとザンビアに到着すると、ルサカ空港ではザンビアの政府の方や、ルサカ消防、ERTのメンバーからの出迎えを受
け、五十嵐さん夫妻とも初対面できました。

 ザンビアの地に日本の国旗が揚がっているのを見るのは、とても嬉しく、また身が引き締まる思いでした。
 VIPルームで会長がテレビ取材を受けているのを、菅原さんがしっかりとビデオで記録していました。
 ホテルへ移動し、荷物を置いたら、ほっとする時間もなくチャイナマ署へ移動。
 そこで消防車の贈呈式を行った後、各セクションに分かれて訓練の資器材チェックに。
 救助チームは資器材の保管状態を確認したり、作動状態を確認しつつ工作車に積載していきました。
 皆が資器材準備に熱中していて晩御飯の時間になっても準備していました。
 その日の夕食はTICO事務所でタイ料理を頂きました。
 美味しい料理のおかげでJPRのメンバーの結束が強くなった前夜祭でした。
 そしてホテルに帰って、星空の下、ベランダでお酒を飲んだあと就寝。
 蚊帳の中で寝るなんて小学生ぶりでした。
 ホテルの部屋ですが、救助チームの部屋のトイレに便器はあるけど便座がないっ!!これがアフリカでは常識だと本気で
稲さんと2人で思ってました。

 が、後日JPRのみんなの指摘で救助の部屋だけ便座がないと発覚。衝撃的でした。
 青年協力隊の岡田さんのおかげで、後日便座が部屋に届きました。
 アフリカって面白いっ!!

11月21日(訓練1日目)
 ついにザンビアの地で訓練開始です。
 訓練午前は稲垣さんが教室内で救助理論について講義を行ないました。
 4Sや、self rescue/team rescue/victim rescueを徹底しました。
 受講生からも積極的な質問が多く、討論にまで発展し、有意義な座学ができたと思いました。
 
 また、僕が訓練に使用する資器材の点検を実施し、資器材の状態だけでなく、収納状態の点検、以前事故をおこしたルサカ
市消防局の資器材搬送車の状態も確認しました。

 午後は訓練場所をZASTI(ザンビア航空大学校?)からファイアフィールド(以後の訓練は総合訓練を除き全てファイア
フィールドで実施)へ移動し訓練をしました。

 最初に言葉を使用しないコミュニケーション方法の確認を行い、ハンドサイン・ホイッスルサインの必要性を指導しまし
た。

 そして、それらを利用した車両の誘導要領を訓練した後、油圧発生装置、油圧カッターの説明を行い、受講生に取り扱い
を行なってもらいました。


11月22日(訓練2日目)
 午前中は準備運動をした後、救助の心技体の体を磨くため、救助チーム全員
での腕立て伏せを行いました。

 ザンビアの受講生で最後まで出来たのはルサカ消防の2名だけでした。
 訓練では、救助工作車の照明の取り扱いを実施しました。
 昨日学んだハンドサイン・ホイッスルサインを使用して訓練を進めました。
 午後は再び準備運動と全員での腕立て伏せを実施し、受講生は若干ヘロヘロになっていました。
 が、「大丈夫?」と聞くと、皆「問題ない」と根性のある答えが返ってきました。
 でも最後までついてこれたのは、相変わらずルサカ消防の2人だけでした(笑) 訓練では、救助工作車のフロントウインチ
取り扱いを実施しました。

 16人の受講生をA・Bチームに分け、車両に玉掛けする班と、フロントウインチの取り扱いを行なう班に分けて訓練を
実施し、実際に車両を牽引して訓練を行ないました。


11月23日(訓練3日目)
 午前は、もうすっかりお決まりになった準備運動と全員での腕立て伏せを
行った後、昨日行なったフロントウインチの復習と、ステップチョックを
使用して車両を固定し、油圧発生装置と油圧カッターを使用して実車を破
壊する訓練を実施しました。

 第1回目の指導で油圧救助資器材を指導していたこともあり、取り扱いを知っている受講生が、知らない受講生に指導して
いる場面も多々見受けられ、お互いが指導しあっていい訓練が出来たと思います。

 最終的には実車の天井の取っ払いまで行ないました。
 フロントウインチを使用した車両の牽引も昨日の復習で行い、受講生が教えあって訓練を実施できていました。
 そして午後からは翌日に控えた総合訓練の事前練習を実施しました。
 交通事故での多数傷病者発生対応訓練を想定し、事故車を救助工作車のフロントウインチで牽引した後、油圧救助資器材を使用して要救助者を救出。
 作業に同時進行で、工作車の照明を使用して現場の安全を確保するという予行練習を行ないました。
 それぞれの役割分担でも、受講生の積極的な討論が見受けられ、内容の濃い訓練になったと思います。
 訓練後、救急チームと合同で、総合訓練全体の説明会を実施しようとしたところ、コンパウンド(貧困地区)で救助事案が発
生したとの情報が入り、救助指導の2人と、救急チームの一部が出動。受講生とともに、現場での活動を行ないました。


 11月24日(訓練4日目)
 午前は総合訓練のリハーサルを行ないました。
 傷病者数108人という大人数で、救急(A・Bチーム)・救助(Cチーム)それぞれが緊張していたと思います。
 アフリカ大陸初となると思われる多数傷病者発生対応訓練です。
 14時からいよいよ総合訓練が開始。
 救助チームは16人をそれぞれ油圧救助資器材チーム、工作車照明チーム、工作車フロントウインチチームそしてコマン
ドチームに分けて訓練を実施しましたが、受講生全員が一致団結し、本当に良く頑張ってくれたと思います。

 訓練は大成功に終りました!!最後のセレモニーのときに聞いたザンビア国歌がとても綺麗で、心地いい音色でした。
 別れ際に、受講生のバンダに今度ザンビアに来たときには嫁を3人紹介してやると言われ、再びザンビアに行く目的もで
きました。

 訓練ばかりの紹介となってしまいましたが、昼ごはんの時に、人生初の手だけでご飯を食べたり、それぞれの訓練後に日
本大使館やJICA事務所を表敬訪問したり、マンダヒルというショッピングセンターで買い物をしたりしました。

 メンバーみんな和気藹々としていて、有沢さんは女性隊員にモテモテでした。
 僕だけかもしれませんが、夕食時に女性隊員が浴衣を着てショッピングセンターに行ったときは、あまりに目立って襲わ
れるんじゃないかとハラハラしました。

 そして最後の2日間はリビングストーンに移動し、アフリカを満喫しました。
  移動中のバスでは朝早かったこともあってか、みな死んだように寝ていま
したが、リビングストーンではお土産を買い、店員との値切り交渉を楽しみま
した。

 西馬さんのお土産はバックに入りきらずに飛び出していました。
 高さ110mのビクトリアフォールでは、バンジーではなんと8人がジャン
プするという盛況ぶり!!

 あの高さは半端ないですっ!!何かを吹っ切るかのように飛んだ方や、飛んだ後に魂が抜け出ている人など様々でした。
 飛んだ人より、飛ぶのを見てた人の方が興奮しすぎて、ぐったりしてました(笑)翌日には、バンジー特攻隊長の播磨さんの
顔からヒゲが消えていました。

 今回のザンビア支援活動では、指導期間は4日間という短い時間でしたが、受講生はもちろんJPR隊員それぞれにも貴
重な体験となったと思います。

 ザンビアでは僕達と同じ救命に携わる隊員が、たくましく活動していました。
 ERTの車両での移動時に、僕と同じくらい若い隊員が救助工作車の隊長席に座っているのを見たとき、"あぁ、こんなに
も若い人たちが、困難な活動現場でも、資器材が十分ない状況の中でも、無給で人を助けているんだ"と思うと、思わず涙が
でそうになりました。

 活動する国は違うけれど、熱い気持ちを持つ同じ仲間のため、JPRの活動を通して今後とも関わっていけたらと考えて
います。

 最後になりましたが、今回応援してくださったJPR会員の皆様、そして現地で尽力してくださった五十嵐夫妻さま、岡
田さんに感謝いたします。

JPR 木下 拓也


OL、ヨッシーさんの手記
 会社員の菅原さんが、第2回ザンビア支援に参加するまでと、参加した後の感想を素直な気持ちで振り返って頂きました

 第2回ザンビア支援に参加して。
 はじめまして、私の職業は会社員(OL)です。
 去年の冬、消防・医療関係者の方々と一緒に、アフリカのザンビアという国へボランティアに参加させて頂きました。
 JPRというNGO団体です。
 全てのきっかけは、ある新聞の掲載記事からでした。
 その記事には、日本で長年活躍し引退となった消防車を発展途上国
へ寄贈し、さらに救急と救助の技術を支援するとありました。

 とても感動しました。
 

 
 驚いたことに現役の消防士の方々が中心になって活動とあり、「こんな人たちがいるんだ・・・」と強く心打たれ、少しでも輸送の足しになればと寄付と入会をしました。
 入会してから折々にML(メーリング)が届きますが、支援国に現状に絶句したことも少なくありません。
 日本に生まれて、何かあれば救急車や消防車が来てくれる、それが当たり前、常識と思っている自分が、とても恵まれていることに気付かされました。
 ある日、一通のMLが届きました。
 
 内容は第2回目のザンビア支援計画、そしてそのツアーの参加募集でした。
 釘付けになり、すぐ申し込みました。
 参加人数は総勢16名。
 
 メンバーは、専門分野の人たちばかりで、私にとっては異業種の中へ飛び込む形です。
 もちろん専門知識など一切ありませんし、英語も大の苦手です。
 それに、治安・衛生面・病気がとても不安で心配でした。
 そして両親の承諾も得なければなりません。
 予想に反してあっさり許可が出たときは拍子抜けしましたが、父いわく、「素晴らしい!」「行ってきなさい!」と激励までされました。
 とはいえ、「一体私に何が出来るのかな」と途方に暮れそうになりましたが、事前打ち合わせで、会長から有り難くも記録係の役目を与えて頂きました。
 「ビデオカメラで支援の様子を収めてほしい」との言葉を聞いたときは、嬉しくてたまりませんでした。
 
 支援内容は、多くの怪我人が発生した際を想定した「多数傷病者発生対応訓練」を実施するという大掛かりなものでした。
 ザンビア国副大統領府危機管理局および、16省庁機関が動くこととなり、ザンビアにおけるこの総合訓練の期待と意気込みは大変高く、これだけ多くの省庁が集うのは、おそらくアフリカ大陸で初めてでしょうと伺い、気持ちは震えていました。
 まさか初めての参加が、そんな大掛かりになるとは夢にも思いませんでした。
 渡航日数込みで9日間、参加者全員が密な情報の共有をしました。
 そして、ついに出発を迎えました。
 
 左腕には日の丸を、右腕にはシンボルマークというユニフォームの着用、壮観でした。
 そして全員、日々気合をこめ元気に過ごしました。
 陽気で、明るく、ユーモアにあふれたメンバーのお蔭で、楽しく参加することが許されました。
 また、お世話になったザンビア国の人達も、朗らかでユーモアのある人達でした。
 全ての人々が、毎日を大変ひたむきに、熱心に、積極的な姿勢で研修に臨み、和気藹々とした雰囲気に包まれていました。
 
 思い返せば、国・人種、全てが、何の違和感も全く無く、あっという間の期間でした。
 志を高く持ち、一体化すること、学んだことは言い尽くせません。
 一生の宝物です。
 
日本国際救急救助技術支援会

Japan Paramedical Rescue :JPR

菅 原 祥 恵 (会社員)



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